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この印象は今回の会議でさらに強められたが、私はここにも、インドとの関係の緊密化により中国を牽制しようとするASEANの外交的配慮の存在をつよく感じている(1995年12月1日付け読売新聞『論点』欄の拙稿参照)。
ちなみに、わが方の「アピール」(猪口邦子氏担当部分)にある「民主主義国家同士は戦争をしない」との見方(いわゆる“democraticpeace”論)に対して、参加者の中から、インドは最大の民主主義国であるが、将来再び(中国と)戦争をする可能性は決して小さくないとのコメントがなされたのは、興味深かった。一般に日本人は、かつての大東亜共栄圏のように、現在でもアジアという場合、ビルマ(ミャンマー)以東を念頭に置くことが多く、インドの存在を無視ないし軽視しがちであるが、冷戦後のアジア太平洋地域の国際政治動向を考えるとき、我々は、インドを視野に加えることにより、もっと複眼的な思考方法を身に付けるべきではないかと思う。
しかし、会議全体を通じて私が改めて痛感したのは、一口に東アジアといっても、北東アジアと南東アジアでは、現実の国際政治環境がいろいろ異なっており、このため、安全保障に関する基本的な認識(パーセプション)がこの2つの地域でかなりずれているということである。すなわち、ベトナム戦争とカンボジア紛争の終結により南東アジアには冷戦型の大きな対立や抗争はなくなり、ASEANを中心として経済協力関係の構築が域内諸国の最大の関心事となっているのに対し、北東アジアには、朝鮮半島問題、中台関係、日ロ関係など冷戦時代からの対立の構造が依然残存しており、これらがこの地域の安全保障上の大きな脅威となっている。しかも、南東アジアには、ARFのような対話の場が設置され、曲りなりにも信頼醸成措置(CBM)が整備されつつあるのに、北東アジアにはそのような多国間の協議の場はいまだに存在せず、相互不信感が増幅され、危機感が高められているのが現状である。
我々の今回のクアラルンプール会議は、丁度、台湾の総統選挙(3月23日)の直後で、この間中国のミサイル発射演習など、台湾海峡の緊張が極度に高まった時期であり、加えて、クリントン大統領の訪日(4月17−18日)を控え、沖縄の米軍基地間題や朝鮮有事対応など日米安保関係の「再定義」論議で沸きかえっていたタイミングでもあった。他方、ASEAN側は、初のアジア欧州首脳会議(ASEM)(3月1−2日)の成功で、益々自信を深め、まさに得意の絶頂にあった。このような背後事情の相違が、日本側とASEAN側参加者の間のパーセプション・ギャップをことさら大きくしたと言えよう。このギャップは、しかし、今後益々拡大することはあっても、縮小することはないのではないかと思われる。であればなおのこと、この種の率直な意見交換の場としての「汎アジア・コロキュアム」の有用性は明らかである。今後もぜひ定期的に、できればなるべく頻繁に開催されるよう希望してやまない。

 

 

 

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